について
ちょっと考えてみたい。基本私の解釈は、親が子供に労働等をさせず、少なくとも義務教育期間の間は子供に勉強する権利を与えなさい。
という理解である。
間違ってたらごめんなさい。
なので、本人の強い希望で行かない、行けないも仕方ないも選択肢の一つではないでしょうか。
ただ、義務という言葉をとって考えてみると、はなからいきたくなければ行かなくていいぞという方針で子供を育てるのは違うだろう。
病気やケガなどで行けない子はおいとくとして*1
行きたいのに行けない、行くとダメージあるから行きたくない、そこの線引きが難しい。それこそ学区の問題であったり、なぜか親の経済事情であったりするわけですから。
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本人の意思
がしっかりとあり、親の育成方針と一致しているのであれば仕方ないですが、6~15歳の子の考えは親の考え方、洗脳が大きい時期でもあるため、最後はやはり親の考え方の反映(鏡)なんだろうなと思う。こればっかりは個性もあるのでなんともいえん。
教育方法が1つであるのが問題
だと自分は思っています。義務教育期間、小・中学校で教えるのは県や学校によって多少違いはあれど基本国の方針にのっとた方法だけである。
昔(例えば江戸時代の寺子屋)のように親や環境によってその子に合わせた教育をしてくれるわけではないのだから。
読み書きそろばんではないが、生活に必要な最低限の学習ができる施設は、ほかにあってもいいと思う。
学校の点数だけが将来を決めるわけではないですが、ほぼ決まってしまう仕組みになっているのは理解した上での話ですが。
私自身もその仕組みの中で育ってきているのでそれが普通なのかな?とはおもいますが疑問や違和感はずっと感じて育っています。
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実体験からいうと
私の学区は、中学受験が当たり前な地域に住んでいました。なので中学年ぐらいからどんな学校があり、どこに行きたいかを考える事が普通でした。
で、高学年になると小学生ながら行きたい進路には進めない(合格厳しい)という現実を突きつけられています。自分が勉強出来ないのが悪いからですけどね
私も、当時から理科算数で点数をとって社会国語で落とす完全理系頭*2だったので、第一志望は全体的に点数的に無理、第二志望は国語に比重を置く私立だったので無理という判断がなされ第三志望でした。
いまおもえばこのタイミングではまだ反抗して無理やりにでも第一志望受けて頑張ってみる!というハングリー精神が自分にはありませんでした。保守的でした(;'∀')
自分の人生を自分で決める決断の挫折はこれが初かもしれませんね。
でもね、内容は同じかもしれませんが学校を自分の実力で選べるってこのタイミングから知っていたのは、幼稚園や小学校のお受験している人達からくらべれば遅いかもしれませんが、それでも義務教育期間中にしれたのは大きいかなと考えています。
この時入学金を見てなんだ学校行くだけにこんなにかかるのか?という親のありがたみも知りました。(塾は当時行け行けうるさいだけだったのでイヤイヤな部分もあったのですが、行かしてくれる良き環境だったと今では感じています。)
なにがいいたいかというと
それしかない、というよりも自分で選べない人が多いんだろうなというのが問題だと自分は考えています。
そこにすんでるからこの学校、この教員にしか教えてもらえない。なわけですよ。
そしてキチガイ教員にわりあたったりすると大変ですよ。教員選ばせろってマジおもってた。
教育熱心な方は居住そのものを変えるようですが、、そういう人達はちゃんとできる選択をしていると思うので良い事かな?とも思いますが、出来ない人のほうが大半だとおもうんです。
実際、世の中嫌な同級生(先輩後輩)だって教員だっているわけじゃないですか、でも義務教育だとそうそう逃げられないんですよ。
ガキとしては超ツラですよ・・・・。
なので、もっと簡単に選べる環境があってもいいとおもいます。教育費は無償とかいいながらも制服やその他行事で金もかかるしね、、義務レベルは、全額無償賞与にしてしまえよ。
そして多少は、選択もできるようにしとけよ!って思います。
もしくは学校内でそれを許す環境があってもいいとおもうのです。全員一律ではなくてね。
レベルが異なれば上でも下でも辛い
勉強が苦手で、ついていけない子もいるでしょう。そういう子は基礎をもう一度やれるカリキュラムが必要ですし、出来る奴に同じことをさせるのも無駄です。
実体験の例でいえば、中学受験をしていると、一部教科は中学生と大して変わらない内容をしています。なのでクソ授業がつまらんです。
私は理科(ほとんど寝てた)、社会や国語が得意な子はそのあたりでしたね。
国語で作者の心情とかこの文章のこれはどこにかかっているかなんてのを簡単に解けてた子は中学ではほとんど同じ内容の繰り返しでゴミ授業っていってましたね。
ペラペラっと教科書みてーあこれが増えたんだフーンって理解したら終わりです。あとは寝るだけ、そして怒られる。辛い。
※塾でも高校受験と中学受験で教える内容として、国語・理科・社会はほぼ内容同じといってました、若干範囲が違うだけでね。
例えば1192(いまだと1185?)年と中学受験で覚えれば高校受験でも答えは一緒です。
まとめ
まぁなんだ、いろいろ書くと発散というか脱線(すでに)してしまうのでこの辺でやめときますが、つめこみでも、ゆとりでも、一律(平等という名の不平等)教育を義務教育でしている限り自分は変わらないんじゃないかなと思います。
線路が1本だとたのしくない、一度はみ出たら修正できないのはつらいんです。
線路はリアル線路や道路のように網の目のようにあっていいんじゃないでしょうか。