個人的にはあり
だと思っています。
が留年に関しては、再度1年通うことになるとその分税金も教師への負担もかかります。
また、留年は、病気やケガなどの本人では回避できない理由による事態も発生します。
なので慎重であるべきです。
が、留年は必須
と思う。
だって必要最低限の知識がないまま、社会に出ることになるわけですから、ある意味残酷です。
必要最低限の知識がないならないという証明(障害者ではないが)も必要だとおもいます。
義務教育でない教育機関では容赦なく留年、退学している人を目の当たりしている身からすると、それが普通だと思っています。
補習による救済措置、無理やり卒業させる今の日本の基本教育はどうかしてると思う側なんです。
逆に一定のルールに従い、留年、もしくは飛び級させることはいいことだと思います。
子供は残酷ですが、
いじめが横行すると考える大人達は”いじめる側の人間”だった人達です。
多種多様な人間がいて良いと考えられる人になるためにもあってよいと思うんです。
どのみち出来ようが出来なくても出る杭はいじめるんです、未成熟なア〇な子供は、、、自分とは違うとね。
とはいえ、本人は大変だとおもいますよ、自分だってびくびくしてましたから、、、
普通に留年したらいやだもん( ´艸`)
でもそれって、社会にでればびくびくでは済まないのです。
へたしたら(サラリーマンなら)首です、経営者なら場合によっては命の危険にさらされます。
すくなくとも
一定の条件がそろわない限り卒業(留年)出来ない制度作りは必要だとおもわれます。
とりあえず日数がたりてて、学校きてたたら卒業できました。。なんて人をみていると
あほらしくなります。
極端な例ですが、卒業試験で合格、不合格だった場合は合格の何割掛けで合格(失敗するほど難しくなる)するなどの制度があればいいなとおもいます。
同じテストを補習というか再実施して合格ラインならOKみたいな学校は腐っています。
まとめ
少なくとも数年間は、新人教育をしてた立場から、努力もしないで出来ないことを当たり前を思う人が増えた、教えてもらわないと何もできないという人が増えたのを残念と感じてましたので。
学校の勉強がすべてであありませんが*1、決められたことを実施する姿勢がみについていないと、社会に出て苦労するとおもいます。
役にたたないから勉強しない、この作業は自分はなにになるかわからないからやらない(やりたくない)、クソクラエです。
*1:どちらかというと無意味